FC2ブログ

カレンダー

11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

プロフィール

rekikyo

Author:rekikyo
大阪大学歴史教育研究会の公式ブログです。
原則として事務局スタッフの記事を中心に週一更新、その他告知や参加メンバーによる投稿等があれば随時掲載します。

最新記事

最新コメント

カテゴリ

リンク

検索フォーム

総訪問者数

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第69回例会参加記

 こんにちは、事務局の岡田雅志です。今回の記事は5月18日(土)に行われました第69回例会の参加記です。例会からかなり時間が経ってからのアップとなってしまい申し訳ありません。

 今回の例会の第1報告は事務局メンバーの一員でもある伊藤一馬氏(甲南大学・四天王寺大学非常勤講師)による、「大学教養科目における「中国通史」の試み」と題した報告でした。
 本報告は、非常勤講師として、半期15コマという限られた時間、また受講生の知識、ニーズが多様な中において、中国通史を教えるという報告者の経験を紹介しながら、大学教養課程における歴史教育の現状と課題を共有し、問題解決への議論につなげようというものであったと思います。
 これまで高校の先生方による授業実践報告はありましたが、大学の授業実践について報告される機会はほとんどなかったので、高大連携の取り組みの上でも非常に貴重な報告でした。また、当会の活動においては、指導法よりも、教える中身の刷新の議論を重視することを特色としてきましたが、報告者は、その中においても、新しい内容を「誰に」「どのように」伝えてゆくのかという問題についても射程に入れてゆく必要があるのではという提言をされており、この点は、大学教養課程用テキストとしての使用を想定している『市民のための世界史』の作成においても、重要なポイントになるのではないかと感じました。
 質疑では、まず、「中国」を通史として教えることの難しさ、問題点が議論されました。現代中国や日本を含む東アジアの国際環境の理解のためには、歴史を遡って考えることが必要であることを強調しなければならない一方で、現代中国との違いはもちろんのこと、前近代の各時代においても意味と中身が多様である「中国」というものを限られた時間の中でどのようにイメージさせるかは非常に困難な課題であることがあらためて明らかになったように思えます(とはいえ、今回の報告の本筋ではないこの議論に時間をかけすぎたのは当日の司会(私)の反省点です・・)。他にも、コンテンツの選択の仕方や、学生の関心を掘り起し、維持させるための工夫などについても質疑が行われました。報告者は毎回アンケートを取り、次回にかなりの時間をかけて回答、解説をするなど、学生との丁寧なコミュニケーションを行っており、それが効果を上げているという印象を持ちました。

 第2報告は、皆川雅樹氏(専修大学附属高等学校教諭)による、「「歴史的思考力」とアクティブラーニング―高校日本史の授業実践から考えていること―」という報告でした。
 こちらの報告はまさに、「どのように」をテーマとした内容でした。報告者は、生徒を授業に主体的に参加させる方法の一つとしてのアクティブラーニング型授業を実践し、現在注目されていますが、今回の報告は、実際に研究会出席者もアクティブラーニングに参加する形で行われました。
 まず、いくら授業の中身がすばらしくても、授業がそれを生かす場にならなければ意味がないとして、これまでの、教師が一方的に説明するチョーク&トークの授業方法から、アクティブラーニング型の授業実践に変えた経緯や、アクティブラーニングの概念や背景、実際の授業の流れ(学習内容の説明→チーム学習→答え合わせ・ポイント解説→試験・振り返り)及び効果などについて説明されました。続けて、「歴史的思考力」の育成とアクティブラーニングとの関係について論じられた後、後半ではそれを題材として、出席者がチームに分かれて討議、発表し、アクティブラーニング型授業を実際に体験することとなりました。
 その後の質疑の時間では、より具体的な方法(一回の授業で進められる範囲など)やこうした形の授業を仕切るコツなどについて、かなり突っ込んだ内容の質問が多くなされました。それだけ今回提示されたアクティブラーニング型授業(及び報告者の話術!)に魅きつけられたということではないかと思います。
 報告者自身もこの形の授業を行う場合、チョーク&トークの技術も重要と述べられていた通り、実際にはかなりの熟練や試行錯誤が必要な高度な授業方法であるという印象を受けましたが、歴史学の魅力の一つは「唯一の正しい答えがあらかじめ存在しない」ところにあるのであり、知識の習得だけでなく、学習者が主体的に考える仕掛けを作ろうとするアクティブラーニング型授業には様々な可能性を感じました。報告者が述べられた「モヤモヤとしたものが残せればしめたもの、それが次の好奇心につながる」という言葉が印象的でした。(文責:岡田雅志(事務局))
スポンサーサイト

歴史教育研究会第68回例会参加報告

 本年度より、鍵谷寛佑さんの後任として特任研究員に就任いたしました、森本慶太です。専攻は西洋史学で、「20世紀スイスにおけるツーリズムの変容」を研究テーマとしております。研究会の皆様には、2010年度にも事務局員としてお世話になりましたが、このたび復帰させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、今回は、4月20日(土)に開催された、第68回例会の内容について報告いたします。
第1報告では、研究会代表の桃木至朗先生(大阪大学大学院文学研究科教授)から、

「大阪大学歴史教育研究会2013年度の方針について―教科書作成を中心として―」

と題して、本研究会の今年度の活動方針について報告いただきました。2013年度は、大学教養教育向け教科書「市民のための世界史」の作成を研究会活動の中心に据えています。本報告の後半では、教科書の目次案とあわせて、桃木先生の担当章の下書きが提示され、計画中の教科書がもつ特徴について、説明されました。
 具体的な方針については、研究会ホームページに掲載している資料 をご覧いただければと思いますが、本年度は、教科書執筆担当者にそれぞれの執筆内容について報告していただき、議論の機会を設ける予定です。今回の質疑応答でも、地図やルビの有無など技術的側面から、教科書の構成や盛り込む内容に関することまで、さまざまな質問が出ましたが、今後の例会でも参加者の皆様との議論を踏まえて、改良を重ねることにしています。
今回の報告を聞いて、これまでの研究会の活動のシンボルとなるこの教科書へ大きな期待を抱くと同時に、作成をサポートする事務局の一員として、改めて気を引き締めた次第です。

 つづく第2報告では、藤川隆男先生(大阪大学大学院文学研究科教授)が、

「「歴史の家」における『アニメで読む世界史』」

と題して、編著『アニメで読む世界史』(山川出版社、2011年)の出版をはじめとする、最近の活動について報告されました。「文学部の本質は遊びにある」という先生だけであって、笑いの絶えない、楽しい報告になりました。
藤川先生は、近年、オーストラリアの歴史博物館や歴史教育、それに靴の歴史からガーデニング(?)にいたるまで、幅広い領域で研究を進めておられますが、今回は主に学生との共同作業についてご紹介いただきました。その一部である、学術雑誌『パブリック・ヒストリー』「オーストラリア辞典」 は、大阪大学西洋史学研究室のサイトで公開していますので、ぜひ一度ご覧ください。
さて、最近の成果である『アニメで読む世界史』は、「世界名作劇場」として広く知られるアニメ作品を通じて、背景にある歴史の流れ(とりわけ、19世紀に生じた大規模な空間的移動と社会変動)を解説したものです。私も執筆者の一人として、第4章「アルプスの少女ハイジ スイスのアイデンティティ」を担当しました。
藤川先生は、読者に楽しんでもらうだけではなく、執筆者の学生に楽しんで書いてほしかったと、報告でも強調しておられましたが、私自身、この執筆を通じて、一見瑣末にみえるエピソードから、スイス史、さらには世界の歴史を解説することの難しさと楽しさを学ぶことができました。ここで得た経験は、世界史研究の最新の成果を、社会に向けてわかりやすい形で発信しようとする、歴史教育研究会の活動にも役立てることができると思っています。

 ところで、この研究会は、大阪大学大学院文学研究科の大学院生向け演習科目として開講しています。今年度も日本史・東洋史・西洋史・共生文明論の各専門分野・コースから、博士前期(修士)課程の大学院生が多数受講しています。今回は、大学院生にとって最初の授業でしたが、雰囲気にのまれることなく、積極的に質問している姿を見て頼もしく思いました。例年通り、2学期には、グループ報告をしてもらう予定ですが、学生同士にとどまらず、研究者・高校教員・社会人などさまざまな立場の人たちとの議論を通じて、自らの研究の深化に役立ててほしいと思います。(文責:森本慶太(事務局))

大阪大学歴史教育研究会第60回例会の概要報告

 特任研究員の久保田裕次です。かなり時間が経ってしまい申し訳ありません。5月19日(土)に開催された第60回例会の参加記です。(当日の報告レジュメは本会の公式HPの活動記録からご覧頂けます。)第60回例会では、鍵谷寛佑氏(大阪大学特任研究員)が「世界史に見る家族・親族・婚姻」をテーマに報告を行い、櫻田涼子先生(京都大学GCOE研究員)には、文化人類学の視点からコメントを頂きました。鍵谷報告は、ジェンダー史の研究状況や以後の例会における議論の前提を共有することも目的とするものでした。

 鍵谷氏は、社会の縮図である「家族」という存在への分析が益々重要になっていることを指摘すると同時に、様々な偏見が持たれている現状に対して問題提起を行いました。現在の日本においては、一夫一妻制となってはいるが、歴史的に見ると地球上には多様な婚姻や家族の形態が存在していたことをまとめられました。また、家族という概念が歴史的にどのように形成され、変化したのかを整理し、家族概念は職業圏と私生活圏との分離、宗教観念の変化や産業構造の転換などから大きな影響を受け、様々な形態を見せるようになったことを示されました。一方で、イギリスを中心に「家族・親族・婚姻」の具体的事例も提示されました。鍵谷報告は、前近代の「家族・親族・婚姻」の「不安定さ」を浮き彫りにすることによって、現在の家族像が近代以降に創られたものであることを私たちに再認識させ、「家族・親族・婚姻」に対する偏見の見直しが必要であることを投げかけるものでした。

 鍵谷報告に対し、櫻田先生からは文化人類学における親族研究の蓄積、ご自身の教育実践をもとにコメントを頂きました。文化人類学研究の父と呼ばれているモルガンが、家族・婚姻制度の確立こそが原始乱婚、原始母系社会、動物的原初状態からの脱却の徴であると考えたこと、こうしたモルガンの考えに対しては、ラドクリフ=ブラウン、クローバーから自文化中心主義との批判が寄せられ、歴史主義や構造機能主義の視点から社会や親族の関係が再検討されるようになったことが説明されました。その後、シュナイダーが、ミクロネシアのヤップ島社会の親族集団の研究から、文化的現象としての親族関係を普遍的現象として定義することは不可能であり、それらを通文化的に比較することも不可能であると述べたことが紹介されました。
 一方、1990年代以降になるとフェミニズム研究などの進展にともない、人類学でも新しい親族研究が登場し、ジェンダー、生物的なつながり、身体といった視点から、生物学的関係性と社会的関係性のはざまにあるものとして親族が捉えられ、「自然」というものが意識されるようになったとのことでした。さらに、科学技術や生殖医療の進展によって、「自然」は20世紀後半のイギリス文化においては、重要な一般通念を形成しないようになり、親子関係をどのように捉えるか難しい時代に突入したことが述べられました。特に、現在の子育てや母性といった概念は近代以降に形成されたものであることが強調されました。
次に、大学における教育実践について、報告を頂きました。それは、医療系大学の一般教養科目において、学生に自分が家族・親族と認識する範囲を系図で書いてもらうというものであり、どうしてその範囲を家族・親族の範疇と認識するかについても説明書きを求めたとのことでした。その図には、色で区分けされているものもあれば、ペットなどが書き込まれているものもあり、一口に家族・親族といっても、多様な認識がなされていることが説明されました。こうした教育実践がジェンダーといったものを相対化するきっかけとなることを学びました。

 櫻田先生が教育実践をもとにお話された家族や親族に関する系図の書き方など、現在私たちが持っている家族や親族に対する認識は個人や社会の歴史的な背景を踏まえなければ、理解することができないものであると強く感じました。家族・親族のあり方は、常に変化しており、家庭や社会における両性の役割、家族・親族の存在形態については喧々諤々の議論が行われています。今後の歴史教育研究会においては、様々な地域や時代における家族や親族のあり方、さらにはジェンダーと諸社会・権力との関係を議論していく予定になっています。ジェンダーといった視点から歴史や社会のあり方を解明することによる成果をどのように受けとめ、さらには、教育現場でどのように活かすことができるのかを考えていきたいと思います。

特別例会「羽田正著『新しい世界史へ―地球市民のための構想』合評会」報告

 皆様、大阪大学歴史教育研究会公式ブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。本年度も、早2ヶ月余りが過ぎようとしています。ここ最近、世間は数百年ぶりの金環日食を盛大に取り上げていましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
今回は、特任研究員の鍵谷寛佑(かぎたにかんすけ)が記事を担当させていただきます。今年度初めての記事になります、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、今回記事にするのは、4月7日に大阪大学豊中キャンパスで行われました、歴史教育研究会の特別例会「羽田正著『新しい世界史へ―地球市民のための構想』合評会」についてです。本来ならば、もっと早くに記事をアップする予定でしたが、遅くなってしまい大変申し訳ございません。
この会は、現在東京大学で副学長をされている羽田正先生を大阪大学にお招きし、弘前大学人文学部の中村武司先生、昨年度まで事務局で活躍された東京大学の後藤敦史さん、大阪大学文学研究科の中尾恭三さんと現在事務局員として活躍されている伊藤一馬さんの4名が、先生の今回の著作にコメントし、皆で議論を深めるという形で行われました。
羽田先生のこの著作に関して、すでに手にとって御覧になった方も多いかと思います。「現在私たちが学び、知っている世界史は、時代に合わなくなっている。現代にふさわしい新しい世界史を構想しなければならない。」(i頁)という点に、多くの教員が共感を覚えたことでしょう。羽田先生が指摘する「新しい世界史」とは、すなわち「地球社会の世界史」であり、「世界がひとつであることを前提として構想され、それを読むことによって、人々に「地球市民」という新たな帰属意識を与えてくれるはずのもの」(8頁)と定義されています。そして、「新しい世界史」を構想するための方法として3点が挙げられており、それはすなわち、(1)世界の見取り図を描く、(2)時系列史にこだわらない、(3)横につなぐ歴史を意識するという点です。特に、(2)の時系列史にこだわらないという点は、従来の歴史学に対する挑戦であり、「今の世界史でいい」といった指摘も、先のある会議で出たそうです。しかし、羽田先生が本書の中で、「だが、だからといって何もせずにあきらめてしまうことはないだろう。それは、歴史学の死を意味する。」(93頁)と指摘されているように、我々は「新しい世界史」を、これから歴史を学ぶ人たちのために創り出さねばなりません。
『新しい世界史へ―地球市民のための構想』が執筆された経緯として、ヨーロッパとアジアをはっきり区別し、それぞれを別の時空間と認識し、その時系列史、相互交換と影響を描くという従来の世界史理解に対して、「本当に、ヨーロッパとアジアは明瞭に区別されうるのか?」、「それは、「ヨーロッパ」の人々の世界観や歴史認識の投影なのではないか?」という羽田先生自身の問題意識があった、と発表の中で述べられていました。そのため、この著作には大きなメッセージ(マニフェスト)が込められています。
本書の内容に対して、「グローバル・ヒストリーとどう違うのか?」、「「地球市民」はいい加減な概念なのでは?」といった様々な意見、批判が寄せられましたが、羽田先生は、それぞれに対して、「グローバル・ヒストリーと言わず、あえて世界史という言葉を使った。「地球の上に人間がいる」という考え方であり、昔がバラバラで、現代が一体化された世界であることを強調したいわけではない。」、「「地球市民」は、「地球の上に生きている人々」というくらいの意味で、政治的なアイデンティティなどは含めていない。」とコメントされています。
私も、この「地球市民」という概念を、歴史を学ぶ人々に定着させることは難しいのではないかと率直な感想を抱きました。しかし、羽田先生が、「批判するのは容易いが、新しいものを創るのは難しい」とおっしゃられていたように、我々も次の時代に「新しい世界史」を伝えていくために日々努力していかねばならない、そう痛感した合評会だったと思います。
短くまとめてしまいましたが、まだ本書をお読みでない方は、是非とも手にとっていただきたく思います。これからも、より建設的な議論が出来るよう、歴史教育研究会は精進してまいりますので、皆様のご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
(文責:鍵谷寛佑(事務局))

第58回例会に参加して

特任研究員の岡田雅志です。今回の内容は,少し時間が経ってしまいましたが,3月30日に行われた第58回例会の参加記です。(当日の報告レジュメは本会公式HPの活動記録からご覧いただけます)

一本目の報告は,荒川正晴先生(大阪大学)と中村薫先生(奈良教育大学)による
「大学教養課程での世界史教育についての調査報告-国公立大学へのアンケートおよびシラバスからの検索-」
です。

この報告は,一部の私立大学も含めた全国117校の大学の教養課程における歴史教育の現状を,シラバスとアンケートにより調査した結果報告です。本研究会の活動と連動している科研費研究「最新の研究成果にもとづく大学教養課程用世界史教科書の作成」のサブプロジェクトとして行われている「日本における大学の教養歴史教育の状況調査」の中間報告に当たるものとなります。

まず,荒川先生より,シラバスから見る教養課程の世界史教育の現状についてお話がありました。まず,古代から現代にわたる世界通史を企図する講義が非常に少なく,あったとしても実質的には教員の専門(多くは西洋史)を中心とした通史である場合が多いことが指摘されました(東京大学の「世界史論」や流通科学大学の「歴史」などの例外あり)。また,古代から始まる通史ではないが,横浜市立大学の教養基礎「歴史から今を知る」など現代世界の成り立ちを理解させることを目的とした講義や,通史ではないものの東洋史・西洋史などの枠を越え,特定のテーマから世界史にアプローチしようとする講義があることが紹介されました。このように一部では面白い取り組みが行われているものの,教員の専門をもとに工夫をしているレベルであり,大学として体系的な世界史教育を提供しているところは皆無といってよく,多くの大学が非常勤講師などに任せているのが現状であるとのことでした。

続いて,中村先生から,「世界史的知識についての認識と対策」に関して,大学教員に対して行ったアンケート調査の結果についてご報告がありました。それによれば,現在の学生の世界史的知識は昔と比べ劣っているという認識を持つ教員が大多数(68%)にもかかわらず,それへの対策をとっていると答えた教員は全体のわずか18%であるとのことでした。これらはあくまで教員の認識,印象であり,フロアからは,何をもって世界史的知識の低下といえるのかという意見や,また高校レベルの基本的知識の欠如を指摘する回答が多かったことに対し,世界史の知識は教室だけでなく,テレビや家庭内での会話などを通じて養われる部分も大きく家族史的動態から捉えなければならないという意見も出されました。いずれにしても,シラバス及びアンケートの結果からは,現在多くの大学が,世界の舞台で活躍できるグローバルな人材の育成を謳っているにもかかわらず,体系的な世界史教育を行う体制がとられていない現状が明らかとなり,高大の枠を越えた課題として取り組まなければならない問題であることをあらためて実感させられた報告でした。

二本目の報告は東京都立永山高等学校(報告当時)の大木匡尚先生による
「地理歴史統合科目としての東京都設定科目「江戸から東京へ」の構成論とその実践―生徒の「日常知」を媒介とした歴史教育の可能性を探る―」
と題した授業実践に基づく報告です。

まず,「江戸から東京へ」という東京都設定科目の設置経緯を検討し,2006年の東京都教育委員会の日本史必修化要望から端を発したものが,新学習指導要領に準拠した独自科目としての設置にシフトしていったことを確認し,同科目が帯びているナショナル・アイデンティティの確立を目指す科目としての位置づけについて指摘されました。その上で,2011年度,勤務校において同科目の先行実施を担当することとなった経験をふまえて,同科目の地理歴史統合科目としての可能性に注目し,地元に暮らす生徒の「日常知」をゆさぶることからスタートし,そこで生まれた関心を,日本あるいは世界の歴史の流れの理解に結びつけてゆくという新たな構成のもとでの同科目授業実践の内容が披露されました。

学校や生徒たちの日常空間における景観の歴史的な変化やその背景(多摩ニュータウンの開発など)についての気づきや関心を掘り起こすために,時には足を使い,時には古文書も用いながら生きた教材を作成され,授業を行われている大木先生の実践には大変感銘を受けました。歴史は自分とは関係ない遠い昔の話ではなく,自分達を取り巻く今と密接に関わりを持っているということを,生徒に実感してもらうことから歴史教育は始まるのだとあらためて教えられたような気がします。質疑では,こうした実践がどこまで一般化できるのかという問題などが提起されましたが,大木先生がお答えになられたように,デジタルアーカイブの作成など教材の共有化,内容の普遍化をいかに行ってゆくかが今後の課題となりそうです。「地域史」と「国史」との関係や,歴史教育のあり方にも関わる意義深い報告で大変勉強になりました。(文責:岡田雅志(事務局))

| ホーム |


 ホーム  » 次のページ


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。