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Author:rekikyo
大阪大学歴史教育研究会の公式ブログです。
原則として事務局スタッフの記事を中心に週一更新、その他告知や参加メンバーによる投稿等があれば随時掲載します。

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携帯電話に関する校則にたとえて

今回は、研究員の後藤敦史が記事を担当します。

さて、今年の7月、大阪府立のある高校の先生(歴史教育研究会にいつもご参加くださっている先生)からご依頼をいただきまして、同校にて「出前講義」を行ってきました。

ネタは、自分の専門である幕末の「開国」について取り上げました。
タイトルは、
「日米和親条約は200年以上続いた鎖国を崩したか??」
です。

※その内容については2008年の第26回大阪大学歴史教育研究会でもお話したことがありますので、研究会HPに掲載されているレジメをご参照ください。

教科書や参考書などでは、日米和親条約(1854年)の締結によって、200年以上続く鎖国体制が終わった、と書かれていることがあります。

しかし、近年、歴史学の研究では、条約を締結した一方の当事者である幕府にとってみれば、別に和親条約で鎖国が終わったわけではない、ということが強調されています。

この点について、高校生の皆さんに説明してきたのですが、表題のとおり、「携帯電話の校則」にたとえてお話したところ、「分かりやすかった」というご感想を参加してくれた多くの高校生からいただきましたので、
ここでもご紹介しておきたいと思います。
近年の「日本開国史」研究の成果をご紹介することにもつながると思いますし、また、歴史学のおもしろさのひとつをご紹介することにもなると思いますので。

前提として、以下、携帯電話の校則を「鎖国」、高校(教師)を「徳川幕府」、生徒会を「アメリカ」と思ってください。

ある高校では、生徒の携帯電話の持ち込みを一切禁止していました。

しかし、その校則を不満に思っていた生徒たちは、生徒会を通じて高校と交渉を行い、ついに、放課後時の利用に限るというルール付で「携帯電話持込可」を勝ち取りました。

このとき、生徒会は、これによって携帯電話持込禁止という校則は崩壊した、と考えました。

ところが、高校教員の側は、あくまでも携帯電話持込禁止という原則を維持したまま、放課後という限定された時間のみ校内で使用することを許したに過ぎない、と判断していました。

つまり、同じ校則でも、生徒会と高校教員側とで、見方がまったく異なる、ということです。

実はこれと同じようなことが日米和親条約にもあてはまります。

条約の一方の当事者であるアメリカは、これによって日本の長きにわたる鎖国が崩れた、と考えました。

ところが、徳川幕府の側では、鎖国体制という原則は維持したまま、箱館・下田という限定された港にのみ入港することを許し、薪水などの供与を認めたに過ぎない、と判断していたわけです。

近年、幕府にとって日米和親条約は鎖国の終焉ではない、ということが強調されているのは、要するに今までの解釈が、アメリカ側からの視点にかたよりすぎていたのではないか、という反省にも基づいています。

こうしたお話から、私は講義の最後に、高校生に対して、同じ「事柄」であっても、見る視点によって見方はさまざま、
だからこそ、
①ひとつの見方にこどわりすぎない、
②つねに他者の見方にも考慮する、
ということを心がけてください、という「説教くさい」お話をして講義を締めくくりました。

それでは、幕府にとって「鎖国の終焉」はいつであったのか、あるいは、「開国」はいつなのか。

これらのテーマは、まさに私が今年6月に提出した博士論文のテーマとも重なっています。
それについては、追々、ご紹介できれば、と思います。


なお、7月の「出前講義」の際には、江戸時代を通じて別に日本は「鎖国」をしていなかったこと、「鎖国」という見方自体も、ヨーロッパ中心的な見方が含まれていること、など、「鎖国」をめぐる研究成果についてもお話してきた、という点を付け加えておきたいと思います。(文責:後藤敦史(事務局))

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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