FC2ブログ

カレンダー

11 | 2019/12 | 01
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

rekikyo

Author:rekikyo
大阪大学歴史教育研究会の公式ブログです。
原則として事務局スタッフの記事を中心に週一更新、その他告知や参加メンバーによる投稿等があれば随時掲載します。

最新記事

最新コメント

カテゴリ

リンク

検索フォーム

総訪問者数

大阪大学歴史教育研究会第55回例会の概要報告

先月から、阪大歴教研では従来のような地域別・時代別の歴史をしばらく離れて、歴史を理解するために重要でありながらこれまで「脇役」に甘んじてきた特定領域の歴史を扱うことになりました。
先月の例会ではトップバッターとして桃木先生に気候変動の世界史、山下先生に災害と戦争からみた日本史の報告をしていただきましたが、今月からはしばらく、特定のテーマについて研究者による概説と大学院生のグループ報告の二本立てで研究会を行う予定です。
まずは11月19日(土)に大阪大学豊中キャンパスで開催された大阪大学歴史教育研究会・第55回例会の概要について、簡単にまとめておきたいと思います。

今回のテーマは「科学技術」
現代の社会において、科学技術の果たす役割は非常に大きなものがありますが、これまで歴史教育において科学技術というトピックが占める割合は非常に小さかったのではないでしょうか。
この原因としてまず考えられるのは、非常にありきたりですが「文系/理系の壁」だろうと思われます。
歴史は文系科目。
科学は理系科目。
とはいえ、科学が成立し現在のような地位を占めるまでにはそれ相応の歴史的経緯が当然存在するわけですし、そのような科学の要素を除外して語られる歴史が不完全なものであることは言うまでもないでしょう。
両方の視点を併せ持つことによって、初めて歴史の理解も科学の理解も深めていくことができるのです。

各報告の概要は以下の通りです。

中村征樹(大阪大学大学院文学研究科・准教授)
「科学技術史から読み解く世界史」

中村報告では、まず「トランス・サイエンス」という概念を通じて、科学だけでは解決できない領域が注目されつつあることが示されました。同時に英国の理科教育の新しい傾向として、理系を専攻しない人々の科学リテラシーを向上させるため、科学をめぐる現代的な問題について科学的説明に加え、科学についての考え方を扱うようになったことが紹介されました。
その上で科学技術の歴史の中で特に重要な2つの局面として、「科学革命」により近代科学が誕生する17世紀のヨーロッパと、科学が体制化する20世紀のアメリカが取り上げられ、それぞれについて歴史的文脈からそれぞれの変化とその意味についての解説が行われました。
コペルニクスに始まる天動説から地動説への「転換」は、現代からみると“真理の発見”といった評価が与えられがちですが、それぞれの主張を仔細に見ていくとそれらは決して“迷信”に対する“真理”といったものではなく、むしろアリストテレスに代表される古典的な自然観や宇宙観の解釈をめぐる立場の相違に過ぎないと捉える方が事実に近いようです。
コペルニクスの地動説にガリレオの望遠鏡天体観測・運動論、「万有引力」を発見したニュートン力学などが組み合わさることで、はじめて自然の「斉一性」を前提とした「近代科学」が誕生したわけです。
「近代科学」が受け入れられていく過程で、当時強い影響力を持っていた「魔術的自然観」から機械をメタファーとして登場する「機械論的自然観」への転換が進んでいきます。
しかし、そのような「機械論的自然観」にしても、神による創造を称える行為としての科学研究の中から生み出されたものであり、キリスト教という宗教的前提を共有しているということには変わりなかったといえます。
17世紀段階では社会的認知も低く、愛好者達の営みに過ぎなかった「科学」の評価が一変するのは19世紀に入ってからのことで、教育課程に組み込まれ職業的科学者が出現して科学研究が進展する中で「科学」の専門分化も進み、哲学者とはまるで異なる存在としての「科学者」という概念が確立していったのです。
20世紀のアメリカについては、特に第二次大戦と結びついて科学者が総動員された「マンハッタン計画」と、戦後のアメリカの科学技術政策を通じて、国家の命運を握る国策としての科学研究という位置づけがなされたことが示されました。

坂倉美早紀(共生文明論M1)・李希泉(日本史学M1)・福島邦久(西洋史学M1)
「暦からみる世界史~社会との関わりをとおして」

本研究会は大阪大学大学院の演習授業も兼ねており、その一環として受講生によるグループでの研究発表が行われます。
この報告もその中の一つですが、ここで目標とされているのは必ずしも教える技術そのものではなく、「先端研究の成果をどう(主に高校教員向けに)わかりやすくしかも的確にポイントを押さえて解説するか」とされています。
今回のテーマとしては中村報告と問題意識を共有しつつ、それぞれの時代・それぞれの地域の人々の生活と深く結びついていた「暦」が取り上げられ、科学技術の側面と歴史の側面の双方を見据えつつその役割・作用・意義について一歩踏み込んだ解説がなされました。
全体構成としては(1)太陽暦(担当:坂倉)、(2)太陰暦・太陰太陽暦(担当:李)、(3)暦の改定による諸問題―日本の改暦(1872年)を事例にして(担当:福島)の三つの柱を立て、それぞれについて簡潔にして要を得た報告がなされました。
個々の内容の詳細については、後日公開予定の報告資料を御覧いただくとして、ここでは報告された内容のうち、ほんの一部を箇条書きで紹介するに留めておくこととします。

・中世まではヨーロッパでも日本でも、日の出・日没を区切りとして、季節により長さの変わる昼と夜をそれぞれ等分する「不定時法」が一般的であった。ヨーロッパでは14世紀頃に機械時計が発明されるとそれにあわせて「定時法」が採用されるようになるが、日本では機械時計の受容後も時計の方を合わせて不定時法に改良した「和時計」が製作され、定時法の導入は近代以降のこととなる。
・特に太陽暦は季節の循環、植物の生育の周期と連動するため、農業の発達に伴い農事暦として普及していった。
・グレゴリオ暦が制定された1582年以降も、プロテスタント圏やギリシア正教圏では引き続きユリウス暦が用いられつづけ、キリスト教圏の中でも地域による暦のズレは20世紀に至るまで存在していた。
・フランス共和暦(革命暦)は、フランス革命後に宗教から脱却して新しい社会形成を目指すために制定された、十進法ベースの暦であったが、急進的だったため定着には至らなかった。
・イスラーム圏であっても、ヒジュラ暦が用いられるのは専ら宗教生活にかかわる範囲であり、農業のためには各地域で異なる太陽暦が用いられていた。
・月の満ち欠けの周期(朔望月)を基準とする太陰暦をベースに、一定の期間ごとに「閏月」を置いて太陽年の周期とのズレを調整する仕組みを併せ持つ暦を「太陰太陽暦」と呼ぶ。
・特に中国を起源として東アジアに普及した太陰太陽暦(旧暦・農暦)は、太陽暦的な節目としての「二十四節気」や、「平気法」「定気法」などの精密な置閏法(閏月の置き方)を備えていた。
・中国の歴代王朝にとって、暦の制定はその支配の根拠としての「天命」を象徴するものとしてとりわけ重要な意味を持っており、その影響は国際関係にも及ぶものであった。
・日本における明治5年の改暦は、近代化の一環であると同時に、旧暦の12月と閏12月をなくすことで政府の人件費支出を節約する財政的な目的から行われた。
・新暦の施行とそれに伴う定時法の導入は、一世一元・皇紀の導入などと併せて天皇による「時間の支配」を目指すものである一方、その内容は西洋由来・中国由来の制度を組み合わせたものであった。
・改暦後も旧暦や暦註を含む「おばけ暦」が広く用いられ続けており、日本全国に太陽暦が完全に浸透したのは高度経済成長期になってからのことであった。その一方で中国や韓国では太陽暦導入後も現在に至るまで旧暦の影響力が強く残っており、いずれにしても暦と社会との結びつきの強さがよくわかる事例と言える。
・以上から知られるように、暦については「西洋=太陽暦」「イスラーム=太陰暦」「日本=太陰太陽暦→太陽暦」のように単純化して理解できるものではない。また支配者や権力者の側だけでなく、社会とのつながりというめんから暦の歴史を考えていくことも必要である。


以上二つの報告に共通する論点もいろいろあると思いますが、ここでは個人的に気になる点を二つだけ挙げて起きたいと思います。

(1)科学技術と自然観の相互関係について
特に中村報告は、科学技術を用いる人々、利用する人々の自然観を抜きにして、科学技術の持つ意味を理解することは出来ないことを、専門外の人にも非常にわかりやすい形で提示しています。
この辺りは、現在進行形の福島第一原発事故をめぐる議論にもそのまま適用できるような気がします。
逆に言えば、科学技術の枠内での「正確さ」を追究するだけでは解決できない領域の存在を認めるところから話を始めないといけないということにもなりそうです。
その際、自分とは異なる自然観・世界観を持つ人々の存在をどこまで認められるか、社会としてどこまで許容しうるかという問題とも向き合わなければならないでしょう。
いずれにしても、もはや科学技術の専門家だけに任せておけばよい問題でないことだけは確かなようです。

(2)科学技術的価値観の持つ文化的バイアスについて
この辺り、当日質問してもよかったかなと思ったのですが……。
ヨーロッパにおける17世紀の「科学革命」が、当時の自然観や宗教観と深く結びついていたとすれば、それは決して“真理”に至るべくして起きた必然的プロセスではないということになります。
言い換えれば、ヨーロッパにおける「民族誌的奇習」が「近代科学」の起点であった、ということになるわけです。
そうだとすれば、同様の「科学革命」がヨーロッパ以外の地域でも起こりえたのかという、当日荒川先生から出された問題と共に、「近代科学」をヨーロッパ以外の自然観・価値観から解釈し直すことによって、新たな可能性を見つけ出すことはできるのかどうか、個々の文化圏毎に固有の位置づけを行うことは可能なのかどうか、という問題も気になりました。
個人的には、「複雑系」というアプローチなどは、それまでの「近代科学」とは随分異なるもののように思えますが、そういう文脈で考えることは可能なのでしょうか。

まとまらない「まとめ」ではありますが、皆さまの御意見をお聞かせいただけますと幸いです。(文責:岡本弘道(事務局))

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

<< 教育現場におけるディベートの重要性 | ホーム | 宗教史を教えるポイント >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム