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Author:rekikyo
大阪大学歴史教育研究会の公式ブログです。
原則として事務局スタッフの記事を中心に週一更新、その他告知や参加メンバーによる投稿等があれば随時掲載します。

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歴史教育にbig pictureは必要か?

今回の記事を担当する特任研究員の岡田です。
先日,ネットでイギリスでの歴史科目のカリキュラム見直しをめぐる論争についての記事を見かけたので,今回はその話を取り上げてみたいと思います。

話は2010年,保守・自由民主連立政権誕生に伴い,新しい教育相の下で歴史科目のナショナル・カリキュラム(公立校に適用される統一カリキュラム,日本の学習指導要領に相当)の大改訂を行う方針が発表されたことに始まります。その目的は,これまでのディベート中心の考えさせる教科から最低限の歴史的事実を覚えさせることに主眼を置く教科に変えようというものでした。
この発表がきっかけとなり,改訂の是非やどのような歴史が教えられるべきかという問題について,新聞・TVなどのメディアを賑わす一大論争になりました。その論争の主役を担ったのが,『風景と記憶』などの著作で有名なサイモン・シャーマと保守派の歴史家ニーアル・ファーガソンです。
ファーガソンは,近代社会を築いた西洋(特にアングロ・サクソン)の優越とそれを可能にした6つのキラー・アプリケーション(競争原理,科学,財産権と法の支配,医学,消費社会,労働倫理)について,歴史を通じて理解させる必要があると訴えました。
一方,シャーマは,最低限イギリスの子供たちに教えなければならない6つの事件(トーマス・ベケットの暗殺,黒死病と農民反乱,チャールズ1世の処刑,インド統治,アイルランド戦争,アヘン戦争と中国)を取り上げ,現在のイギリスの成り立ちとの関係を意識しながら,イギリスの歴史の正負両面についてエピソード的に生徒に語ってゆく手法を提起し,イギリス国民としての共通の物語を確立する必要があると主張しました。そして最終的には,シャーマが教育相顧問としてカリキュラム改訂に当たることになったそうです。

最初,この話を知ったときには,21世紀のイギリスにしては,随分内向きの議論をしているんだなあ,と感じました。ファーガソンの西欧中心主義丸出しの案は論外としても,ポストモダン的手法を歴史研究に取り入れたと評価されているシャーマ(最近では「英国史」などの映像作品脚本における手腕の方が評価されていますが)が学校教育を通じて国民の共通の記憶を形成することを訴えていることも奇異に映りました。その記事の著者もこうしたカリキュラム刷新の意見について,いずれも特定の歴史像を押し付けるものとして,否定的な立場をとっているようです。
しかし,ガーディアン紙(電子版)に掲載されている両者の主張(Schama, Ferguson, history educationで検索するとすぐに出てきます)を読んでみると,この保守,リベラルの2人の歴史学者が,お互いの内容は相容れないものであっても共にカリキュラムの刷新を訴えている背景には,既存のカリキュラムで教育を受けた子供たちの歴史離れに対する危機感があるようです。
彼らによれば,時代順を無視したテーマ別(トピック別)の議論を中心とする歴史教育(ここで問題となっているのは歴史科目が必修とされる中等教育の第一段階(11-13歳)のもの)のために,GCSE(中学卒業後に受ける全国統一試験)での歴史科目による受験者数が減り,有名大学新入生を対象とした最新の調査で,約7割がボーア戦争の舞台がどこかを答えられず,約9割が19世紀のイギリスの首相の名前を一人も知らない,という結果が出るに至ったといいます(このカリキュラムの下では,チャーチルも教える必要がないのだとか)。
また,本来,文化・民族・宗教的多様性を学習すべきキー概念の一つしているはずなのに,現場では,生徒の出身の多民族状況を考慮して奴隷貿易や植民地統治などを扱う場合にはセンシティブな問題にできるだけ触れないようにする傾向が生じ,結果として現在の多民族・多宗教社会の背景を理解しない青少年を増やすことになる,という問題もあるようです(シャーマ自身もユダヤ系移民の家庭に生まれているので,こうした危機意識を強く持ったのかもしれません)。

日本の歴史教育においてはシステム的には取り入れられていませんが,ディベートの持つ効用は先日の鍵谷さんの記事でも強調された通りであり,また,シャーマやファーガソンが取り上げている歴史離れのデータと既存カリキュラムとの因果関係については慎重な検討が必要かと思いますが,歴史が残したエピソードの魅力と現代につながる歴史の大きな流れを理解させ,議論の土台となるbig picture(大きな見取り図)の必要性を訴える彼らの主張については大いに共感できるところがあります。
現在,欧米では,イギリスの既存カリキュラムのようなテーマ別の歴史教育のスタイルが主流のようですが,必ず通史的理解の欠如の問題はつきまとってくると思います。
『新しい世界史へ』で羽田正氏が指摘している時系列史の持つ危うさ(特定主体の実体化,中心化)や,big pictureそのものも時代によって変化するという点には十分注意をする必要がありますが(その意味でシャーマらに批判されているカリキュラムに基づいた教育実践は非常に先進的で,ある歴史上の事件に対する各時代の歴史家の評価を教材にしたり,パキスタンの提携校との間で,パキスタンの生徒に759年のブリテン島へのヴァイキングの侵略を,イギリスの生徒に712年の現在のパキスタン地域へのアラブ連合軍の侵略をそれぞれ調べさせ,その結果を交換してお互いに読ませる,などといった試みがなされているようです),歴史教育において伝えるべき大きな歴史の流れを追求する努力は続けなければならない,とこの論争を知って改めて感じました。

もちろん,こうした2つのアプローチ(問題提起型のテーマ学習重視と基礎知識の伝達による通史理解重視)は必ずしも二者択一的なものではなく,両者のバランスがとれた教育ができれば理想なのでしょうが,それをなかなか許してくれないのが,試験のあり方と歴史科目に割り当てられた時間数の不足というのは,日本でもイギリスでも同じのようです。(文責:岡田雅志(事務局))

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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