FC2ブログ

カレンダー

11 | 2019/12 | 01
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

rekikyo

Author:rekikyo
大阪大学歴史教育研究会の公式ブログです。
原則として事務局スタッフの記事を中心に週一更新、その他告知や参加メンバーによる投稿等があれば随時掲載します。

最新記事

最新コメント

カテゴリ

リンク

検索フォーム

総訪問者数

「遠い記憶、近い歴史」

 六甲中学校・高等学校の置村公男と申します。最近の授業を通して感じたこと、若い世代の先生方と話をしていて感じたことを、とりとめもなく書きたいと思います。

 今学期、中3の時事問題の授業で、1月の台湾総統選挙について取り上げました。中3の移民を扱った世界史Aの授業で、華僑について話をし、その中で特に本省人・外省人の問題(特に2月28日の授業ではいわゆる「2・28事件」)について言及しました。台湾近現代史では、必ず台湾先住民族にまで話が及びます。私が教師になりたての頃(1988年)は、話がし易い状況でした。生徒に台湾先住民族の視覚的イメージとして、ドラゴンズの郭源治投手の話をすれば、たいていの場合は理解できたからです。無論、今でもプロジェクターを使うなどすれば、郭源治投手の話をせずとも、先住民族の外見・容姿を理解させることは可能です。しかし、郭投手が全盛期であった20数年前に、授業で彼の話をするのと、現在、プロジェクターで先住民族の映像・画像を見せるのとでは、生徒の「ノリ」を引き出すという点で、雲泥の差があります。勤務校は男子校ゆえ、(かつては)野球好きの生徒が非常に多く、活躍中のスター選手の話は、授業を活気づける格好のカンフル剤でもありました。

 しかし、生徒の興味関心は、野球以外の様々なものへと移ってゆきました。そもそも、郭投手も現役を引退し、今は何をしているのか、ほとんどの人は知りません。そのような状況で、台湾先住民族の視覚的イメージを生徒に喚起させる方法となると、結局はプロジェクター頼みとなります。

 ところが4年前、生徒に台湾先住民族の話をした時に、郭投手に言及すると、知っている子がクラスに数人いました。私にとっては、予想外に多い数字でした。知っている子に「なぜ知っているのか」を問うと、パワフル・ベースボールというゲームソフトで遊んでいるからだという返事でした。新聞もテレビも見ないでパソコンやゲームばかりしている最近の子供達は、ゲームを通じて、知識を広めているという側面もあります。そのような子供達は、時には懐かしの名選手を選手として起用する父親とゲーム上で戦うことにより、オヤジ世代ではお馴染みの、しかし彼らの世代では知るはずもない人々を知るようになりました。

 このような例として、台湾近現代史では、テレサ・テンを挙げることができます。やはり4年前の授業で彼女のことをとりあげた時、1995年に亡くなった彼女のことを今時の中高生は知らないだろうと思っていました。しかし、郭投手同様、クラスに何人かはテレサ・テンを知っている子がいました。聞けば、家族でカラオケに行った時の親御さんの十八番だとか。ここでもサブカルチャーを介して、世代間ギャップの埋め合わせが行われていました。

 私自身、大学院では「記憶」が研究上のキーワードの一つでした。戦後ポーランドの知識人の代表として、アンジェイ・ヴァイダ(Andrzej Wajda)やクシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieślowski)について論考しました。例えば、「戦争の記憶」の類、即ち国家や社会による「公式の記憶」はどこの国でも、程度の差はあれ受け継がれています(日本の若者の中には怪しい人もいますが)。しかし、ファッション・歌・映画・アニメーション・ドラマ・ブームなどの社会現象等々、流行の類となると、世代が違えば記憶はほとんど継承されていません。しかし、21世紀に入り、ポーランドで70年代(1970年代)ブームが起こった時、その担い手は当時の子供や若者であった中高年層だけでなく、今の若者の間にも広がりました。70年代のファッションや生活様式が彼らの目には新鮮であったからです。懐かしさを動機とする中高年層とは違っても、70年代ブームを担うという点では同じです。70年代のポーランドは、エドヴァルド・ギエレク(Edward Gierek)を党第一書記とし、西欧からの借款により、ポーランド人民共和国(社会主義)時代としては例外的にモノが豊富にあった時代です。

 私は歴史教育に携わり、現代史研究に関わる者の端くれとして、「遠い記憶、近い歴史」が重要であると考えています。「少し古い現代・少し新しい歴史」と換言することもできます。現代に生きる我々、特に若い世代にとり、自分が生まれた頃、或いはその少し前や逆に物心がつくまでの時代は、どうしても記憶がありません。同時に歴史の流れからすると、そのような時代は、一番新しい時代であり、授業で扱う際も最後になりがちで、歴史学・歴史教育においてとりあげるにしても、文献資料が未公開であるとか少ないとかといった理由で障壁が少なくありません。このような時代を私は「先行世代にとっては自身の人生の一部として記憶され、後継の若者世代にとっては一番新しい歴史として資料を通して学ぶ歴史」という意味で上記の「遠い記憶、近い歴史」と勝手に名付けて呼んでいます。

 このようなことを私が考えるようになった端緒は、勤めて2年目の二学期末、職員室で同僚の大ヴェテランが高3日本史の最後の通常授業を終え、「第二次世界大戦まで入った。後は歴史ちゃうから、ええやろ」と言っているのを聞いたからです。彼は勤務校の1期生(私は私学の教員で、大学卒業以来、今の勤務校で24年間教員をしています)で、学徒出陣による徴兵、シベリア抑留を体験した、正に歴史の生き証人とでも呼ぶべき人でした。彼の言葉には重みがあり、傾聴に値します。この世代間ギャップを何とか歴史研究や教育に活かせないと思い始めました。

 東中欧史をテーマとした大阪大学歴史教育研究会の2006年4月の例会でも、ある高校の先生から「1989年の東欧革命・民主化を、当時は生徒とともに固唾を呑んで見守っていた。今の子供達にその当時の雰囲気・空気をどのようにして伝えたらよいか」という質問を受けました。それに対して私は以下のように答えました。

 89年を、それだけで説明するのではなく、90年前後が戦後の体制崩壊の時期と世界史的に位置付けることが大切である。その上で、同年6月4日の天安門事件(国際秩序における中国の不安定要因化)、翌年に始まる湾岸危機と戦争(イデオロギー対決からナショナリズム衝突の時代へ)、ドイツ統一(西による東の吸収)、91年のソ連崩壊(ヤルタ体制の崩壊、「ヤルタ」から「マルタ」へ)、やや遅れるが日本における細川非自民政権誕生(55年体制の崩壊)などを説明すれば生徒も、その時代が一つの歴史上の画期点であったことを認識できる。ブッシュSr.がイラクのフセインにクウェートからの撤兵を求め、その期限が切れ開戦が現実のものとなろうとした91年1月、当時の高1のある生徒が「先生、こんな時に授業をしている場合じゃないですよ」と体よく授業進行を妨げようと叫んだ。私は「嘗て福沢諭吉は、上野で彰義隊が戦っていた時にある塾生が『先生、こんな時にウェーランドの経済書なんか読んでいる場合ではありません』と訴えた時、『日本に慶應義塾のある限り知性の源泉は絶えることはない』と戦時であるからこそ、目先の戦いに囚われず長期的視野に立ち学問に打ち込むことが国家百年の計から見れば正しいのだと説いた。諸君も今、世界史を勉強することが必要なのだ」と授業を始めた。因みにこの時、世界の耳目が湾岸に集まっている隙をついてソ連のゴルバチョフはバルト三国に軍を送り込み、独立運動を鎮圧する「ソ連版『血の日曜日』」と呼ばれる事件が起こった。目先の問題だけ考えていてはいけないという教訓が図らずも証明されることになった。今時の高校生に「授業の邪魔をするならば、せめてこれくらい気の利いたことを言え」と叱責する。このように外国の出来事であっても、当時の私自身の体験に基づくエピソードを紹介するだけでも生徒の食いつきは違ってくるのではないか。


 自身の授業の拙さを棚に上げて偉そうなことを言ってしまいました。しかし、最初の台湾現代史の二人(郭源治とテレサ・テン)に見られるような世代間ギャップを埋め合わせる例もあれば、そのギャップを逆手にとって授業に活用することも可能でしょう。

 オーラルヒストリーの手法として聴き取り調査があります。その具体例として、戦争体験者への聴き取り調査を課すことが初等教育や中等教育でもあるかと思います。戦争体験ではなくとも、先の例のような親世代と子供世代の世代間ギャップがありそうなテーマについて聴き取り調査をさせることも可能です。聴き取りという二つの世代を結びつける作業が重要であり、子供達も普段の家庭ではコミュニケーションが取りにくい親とも「授業の課題」として話すことになります。その聴き取り調査結果を報告させることで、「親世代」と一括りに言っても10年~20年くらいの年齢差があり、それによって返答も違ってくるはずです。よく1951年生まれの同僚が「私は『20世紀後半生まれ』であり、そういう意味では今の中高生と同世代だ」と強弁していたのを思い出します。詭弁のようにも聞こえますが、現代史・同時代史を研究・教育する者として、(1年はオーバーですが)5年や10年の違いは世代の違いを生むかも知れません。

 正にとりとめもない話となりました。問題を提起しておきながら、特に対処法や処方箋を示したわけでもありません。ただ現代史・同時代史の研究・教育に関わる者として、常に問題意識として頭と心のどこに掲げています。時として忘れがちになりますが、このような書く機会を与えてもらうことで、再認識できました。ご担当の方に、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。(文責:置村公男(六甲中学校・高等学校))

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

<< 世界史・日本史・地域史をむすぶ ―もう一つの黒船来航― | ホーム | 「実際に見て」学ぶことの重要性 >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム