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Author:rekikyo
大阪大学歴史教育研究会の公式ブログです。
原則として事務局スタッフの記事を中心に週一更新、その他告知や参加メンバーによる投稿等があれば随時掲載します。

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焼畑と世界史

 今回の記事を担当する特任研究員の岡田です。今回は農業,特に焼畑の話をしてみたいと思います。農業は,前近代はもちろんのこと現代にいたるまで人類の経済,社会生活における最重要な生業であることは言を待たないと思いますが,歴史科目においてはその重要性からすれば取り上げられることの少ないトピックの一つではないかと思います。特に今回取り上げる焼畑に至っては,歴史科目の中で言及されることは非常にまれであると言ってよいでしょう。その理由としては,第一に,焼畑を基盤とする社会が国家や文明を形成しなかったこと(それゆえ史料をほとんど残していない),第二には,第一の点が大きく影響して,原初的な農法である焼畑は,水田を含めた定着農業(常畑)が発達した後には,それによって置き換えられるべきものであり,たとえ存続したとしての常に付属的,周縁的な存在に過ぎない,という固定観念を,世界史を記述する人間(文明に属している)に持たせてしまっていることがあげられます。こうした焼畑の周縁化は,かつて流布した「環境問題に無知な山地民が野放図に焼畑を行うことで森林破壊が進んでいる」というような誤解を助長させた一因ともなっています。

 しかし近年では,焼畑による森林減少は,焼畑の知識を持たない平野部からの移住者による収奪的な焼畑や,社会環境の変化によって伝統的な焼畑サイクルが維持できなくなったことによるものであることが理解され(それすらも商業的な大規模焼畑を別にすれば森林減少の原因としては大きくない),逆に,環境への負荷の少ない持続可能な農法として伝統的な焼畑システムが再評価されるようになってきていることはご存知の方も多いかと思います。


 伝統的な焼畑にも地域によって色々あるものの,一般的には,森林や叢林の樹木を伐採・乾燥・火入れして土地を開き,そこで一定期間作物の栽培を行い,その後土地を休閑させて行う農法であると説明されています。火入れは整地のためだけに行われるのはなく,草木の灰化による土壌への養分供給,土壌有機物などの分解が促進され養分を作物が吸収しやすい状態になる,土壌の殺菌,害虫や雑草の駆除,といった様々な効能を持っています。

 また休閑は,自然の遷移によりその土地が回復するのを待ち再利用するために行うわけで,長期のスパンで見れば,同じ土地を継続利用することになります。

 私も最初焼畑を見たときには,何年,何十年もかかって成長した木々を一度に燃やしてしまうなんてもったいない,と思ってしまったものですが,よく見てみれば,幹の一部を残すなど自然の回復力を温存する工夫がこらされていることがわかります。他にも,収穫が見込めるからといって無理に栽培期間を延ばしても後の休閑期間が長くなるため,効率の良い栽培期間と休閑期間とのバランスが求められ,それらを実現するために様々な儀礼や禁忌が社会の中に埋め込まれています。こうした生態環境への意識は,一度整地してしまうと土壌への影響が目に見えて分かりにくい(それゆえ,肥料や労働力を投入することで収量を上げることが目的化する)常畑とは違い,自然の遷移の中に栽培を組み込んだ焼畑であるからこそ発達したのかもしれません。

 私が研究している東南アジア大陸部の山地世界において,焼畑民といえば有名なのがミャオ(苗)族です。彼らは,元々中国湖南,貴州,四川省地域が居住域であったのが,移住の結果,現在ではベトナム,ラオス,タイを含む東南アジア大陸部山地の広い範囲に居住するようになっています。そのため,焼畑を行いながら遠距離移動し,元の場所には戻ってこない(それゆえ収奪的な焼畑も可能である)というようなイメージを持たれがちですが,実際にはミャオ族の拡散は,18世紀以降,漢族による土地収奪や戦乱によって生じたというのが定説となっています。こうした広域に及ぶ拡散を可能にした機動性を担保したのが焼畑であったのは事実だとしても,できれば生まれ育った土地で生活を送りたいという気持ちに変わりはないわけです。

 話は少しそれましたが,焼畑については,上記のような環境を破壊する収奪的な農法であるという誤解とともに,生産性が低いというイメージがあります。実はこれにも誤解が含まれています。確かに耕地面積当たりの収量は常畑に比べると低いのですが,上に書いた通り,火入れによって大部分の雑草の種子が死滅するので除草の手間が省け(除草は穀物栽培において最も労働力を必要とする作業の1つです),雑草の根茎を破壊するために行われるもう一つの重労働である「耕す」作業についても,不必要あるいは最低限で済むという省力農法なので,投下される労働力当たりの生産性はむしろ常畑よりも高いともいえます。また,焼畑を生業とする社会の多くは,休閑地における植生変化を利用した各種有用植物の採取(日用生活に利用するものから,安息香の名で世界史にも登場するトンキンエゴノキなど交易品となるものもあります)や狩猟・漁撈などの各種生業を組み合わせることにより,森林という生態環境から様々な資源を持続的かつ最大限受け取る技術を発展させてきました。そのため,循環的農法の起点に過ぎない火入れ部分のみに焦点を当てた破壊的なイメージを呼び起こしている「焼畑」という言葉に代えて,「森畑」という言葉を用いるべきだと主張する人もいます。

 このように,焼畑は,生態環境に根差し,森林にできるだけ負荷をかけず持続的に最大限の収穫を得ることが追求された農業システムであり,社会に蓄積された歴史的経験に基づき発展してきたものといえます。焼畑文化や焼畑民の社会が,時代遅れのものではないことは,近年の無耕起栽培や循環農法の流行を見てもわかるのではないでしょうか。現代の環境問題を歴史的に正しく理解し,定着農耕文明とその価値観を中心に語られてきた世界史に別の視角を持ち込むために,今回取り上げた焼畑や狩猟・牧畜社会についてももう少し世界史の中で語られてよいのかもしれません。(文責:岡田雅志(事務局))

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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