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Author:rekikyo
大阪大学歴史教育研究会の公式ブログです。
原則として事務局スタッフの記事を中心に週一更新、その他告知や参加メンバーによる投稿等があれば随時掲載します。

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歴史のなかの貨幣

 皆さまはじめまして、私大阪大学文学研究科・東洋史研究室の多賀良寛と申します。現在は大学院生としてベトナムの歴史を専門に研究しております。歴史教育研究会には昨年度に大学院の授業の一環として参加し、12月にはジェンダーというテーマで身体観の変遷に関する発表を行いましたが、今回はその縁もあってブログの執筆を担当させていただくこととなりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 私の専門は19世紀に成立したベトナムの阮朝という王朝の歴史で、その中でも特に貨幣の流通について重点的に研究を進めています。そこで今回は自分の専門テーマである前近代社会における貨幣の歴史について、身近な日本の事例をあげながら簡単に紹介していきたいと思います。

 前近代社会の貨幣を研究していると、わたしたちが貨幣について抱いている固定観念が通用しない場面にしばしば遭遇します。例えば私たちは、日本=円、韓国=ウォン、中国=元というように、一つの国には一つの通貨がある(一国一通貨制度)というのが当然だとみなしており、むしろユーロのような広域的通貨は特殊な事例であると考えています。しかし歴史を振り返ってみると、私たちが当たり前だと思っている一国一通貨制度のほうが近代以降に成立した極めて特殊な制度であり、むしろ同一の通貨が国境を越えて共有されるパターンのほうが圧倒的に多いことに気づかされるのです。

 具体例をあげましょう。これは非常に有名な事例ですが、中世の日本では、政権が自前の通貨を発行することは一切ありませんでした。律令政府による銅銭鋳造事業が958年を最後に中断してから、17世紀後半に寛永通宝の鋳造が本格化するまで、日本は約600年にわたって自国通貨の発行を放棄したのです。この間中世日本の貨幣流通を支えたのは、中国から輸入された銅銭でした。特に中国の北宋は中国史上まれにみる大量の銅銭を鋳造したため、宋銭が日本をはじめ東アジア・東南アジア諸国へ流出し、各地で広く用いられました。宋銭が日本に流入するのは12世紀頃のことで、当初朝廷は宋銭の使用を禁止しましたが、民間での宋銭使用はおとろえず、結局なしくずし的に宋銭の使用は容認されていったようです。その後は宋銭に加えて明銭も日本に流入し、国内の通貨を中国銭に依存する状況が長く続きました。

 信頼されない自国貨幣を鋳造し続けるよりもいっそグローバルスタンダード?な中国銭を、というのは合理的な発想ですが、しかし貨幣の供給を外部に依存するということは非常に不安定な側面も持っています。広い地域が単一の通貨を使用するということは、どこか一地域で発生した需給バランスの変化がまたたくまに他地域へと波及することを意味するからです。今回取り上げた日本の事例ですと、中国からの銅銭供給が杜絶したり、もたらされる銅銭の質が低下した場合、日本の経済は甚大な影響を受けざるをえません。そしてこうした恐るべき事態が、16世紀後半の西日本で実際に発生してしまったのです。

 16世紀の日本に銅銭を供給していたのは、中国東南部に位置する福建省などの沿海地域でした。この地域では日本側の強い銅銭需要を受け、民間で宋銭をまねた銭を勝手に鋳造し、日本に向けて大量に輸出していました(当時明朝は海禁政策をしいていたので、当然これらの取引の大部分は密貿易となります)。その結果日本には大量の銅銭が流入してきましたが、しかしこうした状況は16世紀後半にはいって劇的に変化します。1560~70年ごろになると、明朝の政策変更や太平洋をまたぐ銀流通の開始によって貿易ルートが大きく変化し、福建における日本向け銅銭生産と輸出が停止してしまったのです。

 中国銭の流入停止は、中国銭に強く依存していた当時の西日本の社会に大きな影響を与えました。追加供給がとまったために銭が稀少になり、一部の地域では銭経済そのものが放棄され、米遣いの経済に転換したのです。それを端的に示すのが、貫高制から石高制への移行です。16世紀の西日本では徴税に際し銭建てで価値表示を行う貫高制が進行していましたが、同世紀の末には米建ての石高制が支配的となりました。この現象は、実物経済から貨幣経済へという一般的な図式からいえば、非常に不思議な現象です。しかしこれも中国銭からの銅銭供給の杜絶がもたらした影響を考えれば、整合的に理解することができます。銭がない状況において無理に銭建てで税を賦課するよりも、いっそ米を賦課基準にしたほうが合理的だと推測できるからです(これらの点についてさらに深く知りたい方は、黒田明伸氏の『貨幣の世界システム』第五章、および新体系日本史シリーズの『流通経済史』に収められている桜井英治氏の「中世の貨幣・信用」をご覧になってください。今回の記述も全面的に両論考に依拠しています)。

 以上の記述で、中世の日本がいかに深く中国銭に依存してきたか、またそうした状況がはらむ問題点についても分かっていただけたのではないかと思います。日本近代史研究者の与那覇潤氏は、「中世は『武士の時代』ではなく『中国銭の時代』、日本人が中国の貨幣を使っていた時代である」と述べていますが(与那覇潤『中国化する日本』)、これは確かに的をえた意見だと思います。こうした観点からみると、江戸幕府による寛永通宝の鋳造は、中国銭に依存する中世的状況と決別し、新しい貨幣システムを形成しようとする壮大な試みだと評価できそうです。また江戸幕府は、銀が基軸通貨であった当時の東アジアにおいて東日本に実質的な金本位制を導入するという興味深い政策を打ち出しますが、これも見方によっては、銀に体現される巨大な中国経済の奔流から距離を置くための措置であったと考えることができます。 

 17世紀以降、江戸幕府は金・銀・銅の三貨を基準にした独自の通貨体制を構築し、18世紀には銀を名目貨幣化することに成功して、実質的な金本位制に到達したともいわれています。しかし19世紀に後半になると、こうしたガラパゴス的通貨体制も大きく揺さぶられていきます。幕末日本の通貨体制を直撃したのは、洋銀と呼ばれるメキシコで鋳造された1ドル銀貨でした。この銀貨は歴史的にみて非常におもしろい銀貨で、スペイン領であったメキシコで鋳造されたにもかかわらず、北アメリカやアジアで広範に流通し、地域によっては本位貨に準ずる地位を享受していました。実は冒頭にあげた元・ウォン・円というおなじみの通貨も、そのルーツはすべてこの洋銀に求めることができるのです。日本の場合、洋銀の到来は金銀比価につけこんだ裁定取引を惹き起し、その結果大量の金が海外に流出するという事態が発生しました(これを題材にした経済小説に、佐藤雅美氏の『大君の通貨』があります)。

 当時東アジアで最も洋銀の流通が盛んだったのは隣の中国大陸で、特に経済先進地域であった上海では、洋銀を本位貨とする貨幣システムが成立していたました。従来アジアでは貨幣として銀を用いる際に重量と品位を計って使用していましたが(秤量貨幣)、18世紀以降海外から洋銀が流入してきた結果、一部の地域では銀貨を一枚、二枚・・・と数えて使用する慣行が広がりました(計数貨幣)。使用に際しての利便性という観点からみると、もちろん後者の計数貨幣ほうが計量の手間も省けて簡単です。しかし計数貨幣的使用が可能になる条件としては、皆が銀の重量・品位は一定だという信用を共有することが必要になります。幸い洋銀は史上まれにみる良貨として知られ、長期間にわたって品位や重量が安定していたので、目ざとい中国の商人たちも、安心してこの銀貨を使用することができたわけです。

 長期間にわたって安定した品位を保ってきた洋銀ですが、19世紀の前半にメキシコがスペインから独立すると、洋銀の品位に混乱が生じ、以前のように安定した銀貨を供給できなくなるという事態が発生しました。中国に輸入される洋銀の質も多様化するわけですが、こうした状況では商人たちは安心して銀貨を使用することができず、スペイン領時代に鋳造された一部の洋銀に異常な高値がつくなど、中国経済に大きな混乱が生じたといわれています。19世紀中国の経済危機というと、アヘン流入にともなう銀の大量流出がもっともよく知られています。しかし最近の研究によると、中国経済に危機をもたらした要因は単純な銀の流出ではなくて、むしろ中国商人の需要する良質な銀貨が供給されなくなったことに求められるという見解が提示されています。実際には複合的な要因がかさなって危機がもたらされたと考えるのが穏当なのでしょうが、これまでの研究者が量という観点からしか銀を見てこなかったことに反省をせまり、むしろ当時の人がどのような銀を欲していたのかという需要の質に着目した点では、画期的な論考だといえます。

 東アジアの貨幣史研究は近年発展めざましい分野で、また日本の研究者が世界をリードしている分野でもあります。しかしこうした業績はまだ世界史の教科書や史料集などには十分に反映されていないように感じます。銅銭やコインの図版を載せるのはいいのですが、それらが果たした経済的意義についてしっかりと説明しなければ、貨幣史=古銭マニアの世界というイメージを植え付けることになりかねません(実際に私がそうでしたので)。貨幣というのは現在に直接つながる身近なテーマですし、最近のユーロ問題とも関連づければ、歴史教育の題材としても非常に有益なものとなりうるのではないでしょうか。
(文責:多賀良寛(大阪大学大学院博士前期課程))

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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