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大阪大学歴史教育研究会の公式ブログです。
原則として事務局スタッフの記事を中心に週一更新、その他告知や参加メンバーによる投稿等があれば随時掲載します。

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大木匡尚「日本学術会議の提言する「歴史基礎」等に対する指導内容の「精選」に関する私的提言(1)」

皆様こんにちは。ホームページ管理人の猪原達生です。
10月20日に行われた第63回例会は、無事盛況のうちに終了いたしました。
ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

さて、本日は東京都立農業高等学校の大木匡尚先生より、「歴史基礎」に関する提言をいただきましたので、ここに掲載いたします。大木先生ご自身の定時制高校における経験と調査に基づく興味深い内容となっておりますので、皆様ぜひともご一読ください。


日本学術会議の提言する「歴史基礎」等に対する指導内容の「精選」に関する私的提言
-定時制課程専門学科における調査を踏まえて-

大木匡尚(東京都立農業高等学校)

緒言
本稿は、高等学校での歴史教育に携わる筆者の立場から、2011年8月3日の日本学術会議「高校地理歴史科教育に関する分科会」(以下、学術会議と略)による提言「新しい高校地理・歴史教育の創造-グローバル化に対応した時空間認識の育成-」(以下、「提言」と略)を読み、学術会議の方向性と「提言」に対する疑義及び課題を論じたものである。
そもそも筆者は、閉塞感の強い現在の歴史教育を改革しようとする学術会議の方向性そのものは高く評価する立場であるが、「提言」にある歴史教育の方向性は、かえって歴史教育を固定化し、閉塞感を強めるものになりはしないかという懸念を覚えている。換言すれば、「提言」は、大学受験を前提として高等学校における世界史もしくは日本史の教育内容を再構築しようとしているが、この試みが、高等学校における教科教育そのものの存立基盤を揺るがせるものにし、高等学校における教科教育を大学での教育及び研究に従属させることになるのではなかろうかという不安を感じるのである。
そこで、本稿では、大学受験の位相と対極にあると考えられる定時制課程専門学科における調査を踏まえ、「提言」のもつ課題を指摘し、高校現場の立場から、今後の歴史教育改革に求めていきたい方向性を私的に提言する。

1 何「のための」歴史教育か? -「高校生の歴史教育についてのアンケート」から-
そもそも、現在の高等学校は、中学校卒業者の98%以上が進学する学校である(文部科学省2011年度学校基本調査、学校等の統計等は以下同じ)。しかし、一概に高等学校といっても、課程区分(全日制課程・定時制課程・通信制課程)もあれば、学科区分(普通科・専門学科・総合学科)もあるので、多様な高等学校が存在する。また、これまでの入学者選抜の結果や卒業後の進路結果によって、いわゆる進学校・中堅校・教育課題校といった高等学校間の序列が歴然と形成されている。このうち、進学校や中堅校に在籍する生徒の場合は、大学等進学率が54%におよぶ現在、かなりの確率で大学等に進学することになる。こうした学校に在学する生徒は、程度の差こそあれ、学習を進路開拓「のために」必要であると認識し、動機付けられている。したがって、学習に対する「関心・意欲・態度」は、進路開拓のための必要性の影に隠れ、その有無を不問に付しても、教師の授業実施や生徒の学習遂行には影響がないことが多い。しかし、いかに大学等への進学率が上昇したといっても、それは高等学校等卒業者の半数に過ぎない。つまり、半数近くの高校生は、大学進学とは無関係なのである。彼らの代表として、以下では、いわゆる教育課題校のひとつとして数えられる勤務校(公立高等学校定時制課程専門学科)において実施したアンケート等の結果を手掛かりに、すべての高校生「のための」歴史教育の目標、すなわち、高校生が考える「歴史教育を必要とする理由」について考察する。
筆者が今年度から勤務する学校は、東京近郊に所在する全日制課程と定時制課程の併置校であり、筆者は定時制課程に所属している。定時制課程は、さらに普通科と農業(食品化学)科の2学科が併置され、各学年3クラス(定員90名)であるが、今年度は第1学年が臨時学級増となり、普通科3クラス、専門学科1クラス(合計定員120名)となった。
筆者は、2012年9月に「高校生の歴史教育についてのアンケート」と題した調査を実施した。対象者は、世界史Aを履修する2年生65名(有効回答は57名、87.7%、以下同じ)と、日本史Aを履修する3年生67名(58名、86.6%)で、合計132名(115名、87.1%)である。
まず、第1の質問項目「歴史を学ぶことが好きであるか?」についてであるが、歴史を学ぶことが「好き」であると回答した生徒は54名(全体の47.0%)、「嫌い」と回答した生徒は60名(53.0%)という結果であった。この結果は、筆者の事前の予想よりも「好き」と回答した生徒の割合が高いものであった。なお、「好き」と回答した理由を分析すると、「何らかの『興味・関心』を抱いているから」が36名(全体の31.3%)、「何らかの『役立ち感』を抱いている」が8名(6.9%)、その他が10名(8.7%)、また、「嫌い」と回答した理由を分析すると、「『興味・関心』を抱けないから」が14名(12.2%)、「何らかの学習上の困難を感じるから」が16名(13.9%)、その他が31名(27.0%)であった。
また、第2の質問項目「学校で歴史(世界史及び日本史)を学ぶことに意味があると思うか?」についてであるが、「意味がある(すなわち、意味を見出して授業を受けている)」と回答した生徒は86名(74.8%)、「意味がない(すなわち、意味を見出せずに授業を受けている)」と回答した生徒は29名(25.2%)であった。なお、「意味がある」と回答した理由を分析すると、「何らかの『興味・関心』を抱いているから」が14名(全体の12.2%)、「何らかの『役立ち感』を抱いている」が42名(36.5%)、その他が30名(26.0%)、また、「意味が無い」と回答した理由を分析すると、「なんらかの『必要性』を感じないから」が13名(11.3%)、その他が16名(13.9%)であった。
ちなみに、第1の質問項目において歴史学習が「好き」と回答しつつ「意味を見出していない」と回答した生徒は0名であったので、「嫌い」であるが授業には「意味がある」と回答する21.8%の生徒の存在は示唆的である。たとえば、ある生徒は、「歴史(の学習、筆者補足)は好きではないが、そういうことが起こってきたから今があると思うと、歴史等は学んだほうが良いと思う」(原文ママ)という回答理由を寄せてくれた。こうした回答は、歴史教師を勇気付けてくれるものである。また、「(歴史の学習に、筆者補足)意味がなかったら、割とかなしいじゃない? ここまでやってきちゃったんだし、やらされた方の身にもなってよね」(原文ママ)という、叫びにも似た切実な回答を寄せてくれた生徒の存在は、歴史教育の存立根拠そのものに突きつけられた大きな課題である。さらに、今回の質問項目とは直接関係はないが、ある生徒が「最近特に思うのですが、昔の正確な歴史を学ばず、かたよったことだけを教えていると、ろくでもない方向に物事が進んでしまうので、正しいことを教えたほうがいいと思います」(原文ママ)という回答を寄せてくれたことなどは、歴史教師のみならず多くの歴史教育にかかわる人間への「警鐘」となるであろう。
筆者は、「歴史にかかわらず、教師みずからその教科を指導する意味を見出すことなく、また生徒に意味を見出させずに授業するのであれば、教師や教科は単なる『抑圧装置』に成り下がる」と日々考えながら授業に臨んでいる。今回のアンケート結果は、そうした筆者の「思い」を図らずも裏付ける結果となった。改めて、高等学校における歴史教育は、前述のような教育課題校の生徒も念頭において構築すべきであると考えている。

2 確保困難な実授業時間 -高等学校の課程間における実授業時間の相違-
一方で、高等学校学習指導要領では、1単位時間は50分とすることが定められ、年間35週間の学習を標準とするため、年間で1単位当たり1,750分(29時間10分)の学習を標準としている。したがって、2単位を標準とする世界史Aや日本史Aの場合であれば、70時限で3,500分(58時間20分)の学習時間を標準とすることとなる。しかし、常識的なことであるが、学校行事や定期考査等もこの授業時数に組み込まれるため、実際の学習時間(以下、実授業時間)は大幅に少なくなる。また、各学校は生徒の実態に即して授業を実施するため、同じ単位数であっても、実授業時間は学校ごとに異なるのが現実である。
たとえば、筆者が昨年まで在籍した前任校は全日制課程普通科の高等学校であったが、3単位(減単位)の世界史Bのあるクラスの場合、89時限で4,520分(75時間20分)の授業時数であった。しかし、ここから考査及びその返却を差し引くと、実授業時間は79時限で4,020分(67時間0分)となる。これを2単位に換算すると、授業時数は3,013分(50時間13分)、実授業時間は2,680分(44時間40分)ということになる。これに対し、現任校の定時制課程専門学科の場合、生徒の実態を踏まえて1単位時間は45分であり、また生徒面談や行事に際しては短縮授業も行われるため、2単位の世界史Aのあるクラスの場合、授業時数は51時限で2,180分(36時間20分)、実授業時間は41時限で1,775分(29時間35分)である。これら実授業時間を2単位の標準授業時数と比較すると、全日制課程において76.6%、定時制課程においては実に50.7%にとどまることが理解できる。
筆者は、この数字の物語る意味は実に大きいと考えている。すなわち、このように実授業時間を確保できない中であっても、歴史教師は、世界史の全体像を生徒に伝えねばならないのであり、そのためには言うまでもなく授業内容の精選が必要になるのである。しかし、高等学校において指導される世界史は、概念的にせよ、内容的にせよ、はたしてすでに確定された学問対象であろうか。そもそも、歴史教育の分野はさておき、日本の歴史学の世界では、伝統的に、日本史・西洋史・東洋史の棲み分けがあり、従って、世界史の叙述は、一部の研究者を除いては、近年になってから漸く進展し始めた感がある。これは、世界史のみならず、一見すると自明であるかのように感じられる日本史の領域でも同じことがいえよう。筆者は、発展途上とも云える世界史の全体像をどう叙述するかという議論を飛び越えて、特定の機関等が授業内容の精選を図るという取り組みそのものが、一部の特定の世界史叙述の固定化につながり、他の叙述の可能性を否定することにつながりかねないと危惧している。歴史は、その独特の思考過程を経たとしても、複数形の解釈を担保する学問的営為である。しかし、ある特定の歴史叙述を「公式」のものとすることで、歴史教育の現場ではその再生産がはじまり、多数考えられる歴史叙述や歴史解釈を否定するようになるという自己言及を犯すことになる。これは、現に「受験対応」という大義名分のために、知識の羅列を再生産している歴史教育と軌を一にすることである。歴史学及び歴史教育に携わる人間にとっての目下の課題は、世界の枠組みを検証し、学校現場で語られる世界史の全体像をどう叙述していくかということであろう。


以下、次のエントリーに続きます。

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