FC2ブログ

カレンダー

07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

プロフィール

rekikyo

Author:rekikyo
大阪大学歴史教育研究会の公式ブログです。
原則として事務局スタッフの記事を中心に週一更新、その他告知や参加メンバーによる投稿等があれば随時掲載します。

最新記事

最新コメント

カテゴリ

リンク

検索フォーム

総訪問者数

第42回北海道高等学校世界史研究大会「国際理解を進めるための世界史教育」

はじめまして,西田祐子と申します。
事務局の末端に所属しています(肩書も「研究員」ではない!)。
(全体を書き終わってからこの冒頭段落を書いておりますが,気付いたことに,他の事務局員さんと雰囲気の異なりすぎるエントリを作成してしまいました。この点については今後考えていくことにします。)

***

はじめて記事を書くので,簡単に自己紹介をします。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程の学生です。本研究会には,もともと一履修生として出席していました。(大阪大学歴史教育研究会は,文学研究科の院生対象の演習も兼ねています。)

研究上の専門は東洋史学,唐代の歴史です。
成立期より多数の遊牧騎馬勢力が参加していたことが明らかになってきている唐朝ですが,その中でも特に実効的な力を有していたトルコ(テュルク)系遊牧民出身のひとびとを研究の主な切り口にしています。それから,唐朝について編纂された漢文史料のあり方にも関心があります。漢文編纂史料は「二次的」な文献です。そこに何が書かれているのか/いないのか,元のソースではどう書かれているのか・・・,こうした点に注意を払うのは研究態度としては当然のことではありますが,私はこのいわゆるテキスト・クリティークの問題をとても(そう,とっても!)深く考えていきたいと思っています。あまり「歴史」っぽくない地味な研究テーマではありますが,情報が「一次的」か「二次的」かということにこだわることがいかに重要かということは,日常生活においても痛いほど察せられるところですし,気に入っています。

***

前置きが長くなりました。
さて,私がご報告するのは,8月5日に北海道・札幌で開催された研究会についてです。
「第42回北海道高等学校世界史研究大会:国際理解を進めるための世界史教育」
プログラムの紹介と,少しの感想を記しておきたいと思います。
桃木至朗先生のブログでも,すでに触れられています。
≪ダオ・チーランのブログ・パシフィック≫「全体を見ること、問いつづけること」

午前の部:
油井大三郎氏 (東京女子大学教授,日本学術会議心理学・教育学委員会・史学委員会・地域研究委員会合同高校地理歴史科教育に関する分科会委員長) 「歴史基礎の新設と思考力育成型教授法の導入―高校歴史教育の抜本的改革を求めて―」

8月はやや遠いので,少し詳しめに内容を報告します。
2006年に「世界史未履修問題」が表面化してからの,日本学術会議「高校地理歴史科教育に関する分科会」発足までの流れについて簡単に説明があったのち,分科会による「未履修問題」の発生原因に対する分析の概要が紹介されました。それらを踏まえ,高校地理・歴史科教育にかんする「改革案」が短期的改革・長期的改革(注1)に分けて示されているということです。

タイムリーなことに,研究会の5日前(8月3日),日本学術会議・高校地理歴史科教育に関する分科会から「新しい高校地理・歴史教育の創造―グローバル化に対応した時空間認識の育成―」という提言が出されていたのです。同分科会委員長の油井先生による解説をこのタイミングで聴けるとは,貴重で有益な体験です(注2)。友人に「未履修」学生も多くいる年代で,かつ高校時代は「世界史嫌い」だった私は,業界の危機感や「分科会」の沿革にかんする知識がもとより少なかったので,なおさら勉強になりました。

(なお,上に「注」を付けたことにお気付きかと思います。これは,私が「なんだろう」「実はよく知らない」と思ったものに積極的に付けることにしたものです。恥ずかしながらまだまだ勉強不足なので(隠しても仕方がないことに気付きました),簡単なことでも「注」を付けて参りたいと思います。文字通りのご笑覧を,お願いいたします。でも,もしも,本研究会の活動や内容に興味を持たれた高校生や学部生さんや他分野の院生さん等で,簡単そうなことだけれども分からないことがあって敷居が高いと感じる方がおられたら,お役に立つものであればうれしいです。)

講演の後半は,油井先生ご提案の「グローバル化時代に適した教授法への抜本的改革」がテーマでした。
グローバル化時代にあっては,単なる「暗記力」よりは,ディベートなどを通じて「合意形成」ができる能力が重視されるという見通しのもとで,アメリカの教育をモデルに改革を考えてみよう,という趣旨でした。アメリカの経験主義的な社会科教育は,「自立した市民をつくる」ことを目的としたもの。現在日本の社会科教育は,ややもすれば「歴史研究者をつくる」ためのものとも言えそうなほど,詳しく,過度にも思われるほど網羅的。そうではなく,「ふつうの市民になる人たちをつくる」ことを意識的に目指した歴史教育を考えてみてはどうか,と提案されていました。
「ふつうの市民になる人たちをつくる」。印象深いキーフレーズです(注3)


午後の部:
桃木至朗氏 (大阪大学教授) 「高校歴史教育の抜本的改革を可能にするために大学・学界がすべきこと」

長くなってきましたので,ご講演内容は,先生ご自身のブログエントリに詳細なため,そちらをご参照いただきたいと思います。ただ,油井先生と桃木先生のお話に共通して印象的だったのは,「世界史(史学)分野だけで議論していても十分でなく,関連分野を巻き込む必要がある」・・・,現在はまだ関連分野どうしの協力が容易・十分な状態ではないが,それに取り組まなければ解決はないぞ!という現実的な警鐘でした。

午後の後半は,高校の先生方による実践報告です。
・ 佐野祐子氏(北海道旭川東高等学校)の報告
「世界史嫌い」をつくらないことを第一目標として,世界史を用語の丸暗記というイメージから引き剥がすことを強く意識しながらおこなわれている授業の実践報告でした。佐野先生が集められた「生徒アンケート」の紹介がありました。実際に高校生がどのようなイメージを「世界史」に持っているのか垣間見ました。
・ 渡邉大輔氏(北海道札幌白陵高等学校)の報告
生徒の「基礎基本」定着を目指し,高校世界史の授業で「TT( Team Teaching )」を導入されたとのこと。困難校では教員側の時間的負担が増加するとしてもそれを超える効果がある,という実感の強くこもった指摘が印象的でした。


記憶によるとたしかとても暑い頃でしたので,「(涼しい)北海道にいける!」と楽しみにしていたところ,宿の手配に失敗して便利な場所には宿泊できず,スケジュールもぎりぎりで残念な目に遭いました。それでも,研究会では多くの知見・刺激を得られましたし,研究会でご用意いただいていた懇親会では,面白いお話はもちろん,素晴らしい北海道の幸(さすが!)をいただくことができ,慰められました。


**注のコーナー**  字が小さすぎるような気もします。
(注1)
ここで言われている「短期的改革」とは・・・,抜本的な変更(これはにわかには困難)ではなく,現在通用中の日本史・世界史・地理の構成の<まま>でできるような内容のもの。
「長期的改革」とは・・・,“世界史のみ必修”という現状に固執せず,新たな統合的科目(日本史・地理も内容に含めた)総合的科目の創設をはかるもの。

(注2)
この「提言」は,「日本学術会議 トップページ」>「提言・報告等」>「提言」から見ることができます。2011-08-03「新しい高校地理・歴史教育の創造-グローバル化に対応した時空間認識の育成-」心理学・教育学委員会・史学委員会・地域研究委員会合同高校地理歴史科教育に関する分科会(第130回幹事会)
ちなみに,「「提言」とは,科学的な事柄について,部,委員会又は分科会が実現を望む意見等を発表するものです。」とのこと(日本学術会議ウェブサイトより)。なるほど。

(注3)
・・・そこで思い出したことに,最近,大阪大学では共通教育(いわゆる一般教養)で文学研究科の史学系の先生方による「市民のための世界史」(「東洋の歴史」「西洋の歴史」等と分かれる)という半期単位の講義が開かれています。私も院生になってから出席したことがありますが,まさに<暗記力>は問われなくて,講義で直接的に扱わない多くの部分は「教科書を読んでおいて!」「参考文献を紹介するよ!」と自習を促されました。実感としては,入試という行事が控えていないから可能な進め方だと思いつつ,学ぶ気が楽でした。しかも,議論が盛んなところや,現代社会と絡めて考えやすい点を,ほかを大胆に割愛しながら遠慮なく強調されるので,<興味を持つことが歓迎されている気>になりました。・・・という,学生向けの宣伝です!
ちなみに,大学の半期1コマ講義を「東洋」「西洋」併せて受講すると,90分×15回×2セット=2700分=45時間。比べて意味があるかは分かりませんが,世界史Bは,50分×35回×4単位分=7000分=116時間40分。高・大生の理解力などの差を考慮して,大学講義の時間が窮屈な設定だとすれば,高校でもあり得るレクチャー構成なのでしょうか。記憶力も悪く世界史が苦手だった私は,試しに高校生のときに「市民のための」を受講してみたかった気もします。



(文責:西田祐子(事務局))

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

<< 時間版のGISは可能か?~GT-TimeとGoogleのタイムライン検索から考える | ホーム | 大阪大学歴史教育研究会・第54回例会 >>


コメント

あえての暴論ながら

 三度目のコメント投稿になります。
 私も、今年の北海道高等学校世界史研究会大会に出席しました。西田さんともお会いしたと思います。私としても、この大会について纏めておかなければと思っていたところです。ただし今回は、西田さんが言及された「市民のための世界史」関係のことについて申し上げたいと思います。この講義を担当される大阪大学の先生方の方針が、全てを網羅的に講義で紹介するのではなく、講義では現代と関連する焦点となることを強調し、後は紹介した参考文献を読んで積極的に自学自習することを求める者ということですね。実はこうした自学自習が、私が経験してきた高等学校では全く成り立たなかったということです。何故かと言えば、能力・意欲ある生徒ほど運動競技やコンクールの比重が高い文化部に属し、大学受験のために必要なものでないと全く勉強する気もないという状況ばかりだったからです。現勤務校も文武両道と言いつつ部活動の比重が恐ろしく高く、英語・数学でも毎日の宿題がなかったなら、全く勉強しないで部活に明け暮れるであろうと推測できるところです。そして、競技団体によっては、まさにそれくらいに打ち込むことを前提として公式試合への参加を義務づけるものもあるくらいです。従って部活動に打ち込む毎日で、読書も殆どする余裕もなく、どうしてもやらなければならない宿題以上の自宅学習しかやらず、あるいはやれない状態の生徒が殆どです。これは、今まで勤務した他の高校でも同様でした。(逆に言えば、部活に打ち込まない、打ち込めない生徒はそれこそ遊ぶばかりで勉強も読書もしないのです。)そうではない生徒が皆無というわけではありませんが、大きな傾向がどうかと言えば、かく極言せざるを得ないと言うことです。あえての暴論と題しましたが、それは私の高校教員としての経験のみによるものながら、平成に入ってからの日本は、よくなったのは運動競技の国際大会での成績のみではないのか?歴史離れも理科離れも全てそれが原因ではないのか?ということです。「ゆとり教育」の失敗とは、この意欲ある青少年を運動競技一辺倒にしてしまったことによるものであり、新学習指導要領の思考力・表現力重視も、この運動競技=スポーツの一人勝ち状況を是正する方策を立てなければ、全く最初から、画餅に帰すことは明らかである。と極限しうるくらいです。
 あまりにも飛躍した意見でしたが、高校生は何故考えないで暗記に走るか?何故読書しないのか?歴史教育を改革するために必要な議論への提起となるだろうと思って、あえて投稿しました。

コメントありがとうございます

高橋先生,コメントどうもありがとうございました。
また,北海道でもありがとうございました。
(※ レスが遅くなってしまったのは個人的なネット環境の事情によります,何卒ご容赦ください。)

私こそ,まさに「自学自習」どころか「暗記」さえ放棄していた高校生で,3年夏まで朝・昼・夕と部活動や生徒会イベントのことしか考えていませんでしたので,先生のおっしゃる問題については少しく実感をもって考えることができる気がいたしました。また,耳が痛いです。つまり,「なぜ私はあのころ自習・暗記をしなかったのか?」と自問することになるのでございます。

なぜ暗記に走るのか?読書をしないのか?という点に対しては(対しても),当然ながら,歴史以外の関連科目についても同様の議論がありえますし,つねに同じ問題を共有していると自覚し続けたうえで,少なくとも関連科目間に相互連関的な(それから実際上,慎重で漸進的である必要がある)改革をなさなければ,現場における意味が激減します。一人の高校生が複数の科目を履修して「勉強の仕方」のようなものを判断・構築していくという現実がある以上,たとえば「倫理」の業界が解決した教科書や指導進行上の問題を「世界史」が引き摺っていたとするならば,多くの高校生の混乱や倦怠はおそらくつのるばかりだろうということは,本研究会でも幾度となく話題になっていたこととおもいますし,ご指摘の問題は広い範囲で深く取り組まれるべき重要なことがらだと感じました。

私はまだ駆け出しなので,本研究会の活動以外にも,社会科科目の教科書比較,外国での取り組みなどを研究されている科研などがあることを最近知るようになり,大変興味深くおもっていたところです。他の歴史教育の研究会のみならず,他科目にかんする議論の場にも積極的に目配りをして参りたいと所存です。(意思表明になってしまいました。)

追記:「市民のための世界史」については,全ての開講講義に出席したあるいは全ての講師の先生にお話をお聞きしたわけではないので,あくまでも一受講生としての印象をメモしました。

日本学術会議の歴史基礎について

高橋 徹 先生

 過日は、先生からお手紙をいただきながら、返事を書くのが遅れて申し訳ありませんでした。11月は国立大学の付属学校の教育研究会が結構あり、また私自身にとってわりに重要な仕事が舞い込みまして、そのこともあってなかなかお返事が書けませんでした。先生からいただいたお手紙は大阪大学歴史教育研究会の公式ブログでほぼ書いておられることですので、勝手ながらブログへの掲載でお返事に換えさせていただきます。
 先生の手紙の要点は、ブログに書いておられたことー歴史離れの根本的な原因は「スポーツ競技による意欲・能力ある青少年の早期囲い込み」にあるーと、それに付随して日本学術会議で提起されている歴史基礎は大学受験科目にすべきだという点にあると拝察いたします。前者については、私の知っている範囲ではスポーツに熱中しても全国大会に出場することは至難のことで、歴史離れの根本原因をそのことに求めるのはどうかと思いますが、この点については水掛け論になると思いますので、後者のことについて私見を述べさせていただくことにします。
 その前に、日本学術会議の提言についてですが、これが「勧告」ということになりますと、当該官庁は必ず受け入れなければならないのですが、「提言」の場合は受け入れるかどうかは当該官庁にゆだねられるそうです。ですから、今回の提言が文部科学省に受け入れられるどうかは、提言の中身によるということです。提言のその後の展開について私が油井先生からお聞きしているところによりますと、10月中旬に、中央教育審議会の教育課程関連の委員の方や審議官、課長などの前で、学術会議の提言について報告されたそうです。同じく東京都の日本史必修化についての報告もあったそうですが、それと異なり学術会議提言についてはあまり厳しい質問はでず、教育課程全般の検討が始まったばかりのようで、地歴に集中して歴史基礎がよいのか、地歴基礎がよいのか、といった突っ込んだ質問はなかったそうです。最後に文科省側が今後の学術会議の審議予定を聞かれたようで、学術会議の動向をそれなりに気にしているとのことでした。一緒に地理の先生が地理基礎の説明をされ、地理では高校の先生方に地理基礎の実験を行う研究開発校を増やすように働きかけることで、地理基礎の実現性を高めるようにしようとしているようです。歴史教育でもそのような動きがでるとありがたいとのことですので、この点につきましては、大阪大学歴史教育研究会に関係されている先生方に期待したいと思っております。
 以上のような状況の中で、歴史基礎について最も考えなければならないことは、現在提起されている3案を一本化することであり、このことがなされなければ折角の提言も文部科学省の棚の上に積まれるだけになってしまう恐れがあります。私は今回のシンポジウムで歴史基礎について、「20世紀史」として提案しましたが、私自身30年近く世界史の教員であり、多くの高校で講義形式中心の授業が行われている現状を考えると、これが最善と考えておりました。しかし、今年奈良教育大学で中学校社会科教育法を担当することになり、11月中旬に東京都の上野中学校で開かれました全国中学校社会科教育研究大会での公開授業とその際の教科調査官の講演を聞き、別の選択肢もあるのではないかと考えるようになりました。
 教科調査官の話によると、中学校での歴史的分野の目標は「我が国の歴史の大きな流れ」を理解させることであり、そのために「各時代(古代・中世・近世・近代・現代の日本)を大観し表現する活動を通してその特色をとらえさせる学習」が重視されるということになっているそうです。中学校の歴史教育がそのように行われますと、その延長で実施されることになる高等学校の歴史基礎について、私は3年前のシンポジウムで桜井由躬雄先生が提起された世界史の中で日本史を加えるという考えが、妥当ではないかと思うようになりました。とはいえ、あの会場で多くの高校教員が懸念したのは、2単位で日本史を組み込んだ世界史が可能かということだったのですが、中学校での歴史的分野の動向を考えますと、逆に高校の歴史基礎では、古代の世界・中世の世界・近世の世界・近代の世界・現代の世界を大観し、その時代の特色をとらえる学習というものも必要ではないかと現在考えており、そのためにはどのような世界史像が考えられるかということに今後挑戦していきたいと考えております。
 この点について、最近羽田正氏が『新しい世界史へ』という本を書かれ、「新しい世界史の構想」について提案されています。私もこれまでのヨーロッパ中心史観の色濃い世界史像に代わる新しい世界史の構想という考えには賛成ですが、そのために羽田氏の構想の枠組みー人間集団を単位とするとか時系列史にこだわらないなどーを押し付けられますと、それ以外の構想は否定されてしまいかねません。新しい世界史では世界の見取り図を描くという一点のみで多様な試案を認めてもらわないと、羽田氏以外にはどのような試案も許されないということになってしまいそうだという懸念を抱いています。
 話がそれていると思われそうですので、最初の問題に戻りたいと思います。今回の歴史基礎を大学受験科目にすべきかどうかということについて、私の考えはそれに否定的であり、北海道で油井先生が話されたという「大学受験から離れて自由に学ばせたい」に賛成だということです。それでは生徒は世界史を学ぼうとせず、「世界史未履修」の二の舞になるとお考えになられると思いますが、先日「地歴科総合科目」の研究開発をしている京都府の西乙訓高校で、川北稔先生の講話がありましたが、その際に川北先生は、必修とされたときの世界史の理念と現在実際に行われている世界史との間には大きなずれがあるとおっしゃいました。21世紀を生きる若者にとり必要な世界史とは、現在生じている諸問題を考えていく上で役に立つ世界史の見方であるのに、実際には古い時代の細かな知識が教え込まれており、これこそが高校教育の大きな問題であるとのことでした。
 昨年、高校3年生は全国で100万人くらいいましたが、そのうちセンター試験で地理歴史科を受験する生徒は約37万人、うち世界史受験者は約9万人でした。世界史を受験する生徒のために、必修である世界史では古代や中世を教え、その後受験する生徒のために選択で近世以降を教えるというのではなく、全ての高校生が学ぶべき世界史とは何かということを我々は真剣に考えるべきではないでしょうか。今回の学習指導要領では、日本史は中学校までの社会科で学んでおり、その積み上げで高校では世界史を学習することが歴史学習の系統性から望ましいということで、地理歴史科で世界史はなんとか必修となりました。しかし、次の学習指導要領では、今までのような世界史の教え方を変えない限り世界史が必修であることはまず無理だという厳しい認識を持つべきだと思います。高等学校の教育課程を議論する中央教育審議会教育課程部会は、あくまでもすべての高校生にとって必要な教育内容を考えているのであり、受験生のための教育課程を考えているのではないということを強く意識すべきです。それで、歴史基礎が未履修の二の舞になるということでしたら、もはや地理歴史科に必修科目をおかず、すべて選択科目にすればいいと思います。ただそうなると世界史を選択する生徒がどれほどいるだろうかと考えると、正直いって私は高校世界史の将来に暗澹とした思いを持ちます。中学校で日本史中心の学習が今後も行われますと、現在東南アジア史についてしばしば指摘される「複雑でわかりにくく」「馴染みがない」という言葉は、やがて世界史に当てはまる言葉のように私には思われます。そのような状況ですので、なおのこと私は高校教育で世界を知ることの必要性を主張したいと思っており、そのために歴史基礎のような必修の新科目に期待している次第です。
 私が大阪大学歴史教育研究会に参加されている高等学校の先生方に期待しておりますことは、2単位の世界史A(もしくは必修としている世界史B)で、世界史を教える枠組みについての試案とその問題点を共有して、今後のあり得べき世界史像を考えていきたいということです。現役を去ったものが勝手なことばかり言っていると思われるかもしれませんが、何度も申し上げているように、そうしないと高校世界史の将来はないという危機感から申し上げていることですので、どうかよろしくご理解いただけますようにお願いいたします。

2011年12月5日
                         中村 薫

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム